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about us

 つるかごを作り始めたそもそもの経緯は、この間まで暮らしていた町に引っ越したことでした。その前に住んでいた町で、市民農園を借りて自家用の野菜を育て始め、できるだけ身体によい、おいしい野菜を作りたいと思っていました。あるとき固定種・在来種の自家採種を互いに交換しているグループに出会いました。そしてそのメンバーであるプロの農家の方が種の採り方を指導してくれる講習会に参加しました。その方の住んでいたのが、この間までわたしが暮らしていた町でした。この町は、全国でも有数の有機農業の里として知られていて、以前、道に迷って偶然に訪れたことがあり、その里山の風景の美しさに感動した場所でもあったのです。そんなことが繋がって、どうせ畑暮らしをするなら、こんなところで暮らしたい、と思い立ち移り住むことになったのです。結構、思いつきで動く性格です。
 引っ越して間もない春のはじめ、わたしたちは新たに畑を借りました。以前は20坪ほどの小さな畑だったのが、一気に10倍、200坪の耕作放棄農地を耕すことになったのです。
 それから初夏になり、たまたま町のイベントでつるかごを作って販売している人たちに出会いました。ずっと以前から籠は大好きだったのですが、このとき突然、籠を作ってみたいと思いました。冬になったら講習会をするので連絡をくれる、と言ってくれて、とてもとても楽しみに待ちました。
 夏のあいだ、畑はたいへんワイルドな世界になりました。雑草で覆われた中、ところどころに野菜が育っている、という感じで、これはこれで素晴らしい農法?なんじゃないかと思いました。というのも、ここで採れた野菜が、ほんとうにおいしかったからです。
 秋になって、わたしは畑の環境整備に取り組み始めました。この畑は背後に、栗林になっている低い裏山を控えていて、畑と山の境にはびっしりと篠竹が生い茂っていました。その篠竹を切り始めました。ワイルドな畑は悪くないけれど、篠竹の藪はなんだか鬱陶しく、風通しも悪かったからです。背の高いのは4mくらいもある篠竹が200本、300本、それくらいはあったと思います。篠竹には蔓が巻き付き、その上の高い木の枝まで這い上っていました。篠竹を切り取るには絡みついた蔓も切らなくてはならず、大量の蔓が篠竹と一緒に畑に積まれることになりました。
 冬のはじめ、つるかご講習会があり、ここからわたしの籠作りがスタートしました。そのときに、畑で採った蔓を持って行き、これらがツヅラフジだということを知りました。いまfieldfingerで作っている籠のほとんどはこのツヅラフジです。
 field fingerのメンバーは、基本的にはわたしと夫のふたりです。夫は「蔓採り爺さん」として、いつも野山に分け入り、葉っぱだらけになりながら蔓を切り取ってくれています。わたしは採れた蔓をくるくる巻く係です。こうして家に持ち帰った蔓は、寒い冬の庭ですっかり解いて太さ別に整理したり洗ったりして、やっと籠を編む作業が始まります。
 
 

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